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ランゲージ・ラボラトリーの小池です。
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2000円札を見たことはありますか。裏には、平安時代の絵巻と一緒に、1人の女性が描かれています。紫式部です。
教科書では「『源氏物語』を書いた人」の1行で終わります。でも、自分で書き残した日記を読むと、もっとおもしろい人が出てきます。子どものころ、兄弟が習う漢文を横で聞いていただけで、本人より先に覚えてしまった人です。
しかも大人になってからは、その知識を見せびらかすどころか、隠しました。隠した知識は消えたわけではありません。千年読み継がれる物語の中で、ちゃんと生きていました。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 970年代 | 漢学者・藤原為時の娘として生まれる(生まれた年ははっきりしない) |
| 996年 | 父が越前(今の福井県)の国司になり、一緒に越前へ |
| 998年ごろ | 藤原宣孝と結婚。翌年ごろ娘の賢子が生まれる |
| 1001年 | 夫の宣孝が亡くなる。このころから『源氏物語』を書き始めたといわれる |
| 1005年か1006年 | 藤原道長の娘・中宮彰子に仕える(宮仕え) |
| 1008年 | 日記に、宮中で『源氏物語』が読まれている記録が残る |
| 1010年ごろ | 『紫式部日記』がまとまる。亡くなった年もはっきりしない |
出典:『紫式部日記』の記述と、国語・日本史の辞典による。年は「ごろ」を含む。


紫式部の父・藤原為時は、漢文(中国の書物)の学者でした。当時、漢文は男の人が学ぶもの。役人になるのに必要な、男の教養とされていました。
為時は、息子の惟規に漢文を教えていました。その横に、まだ子どもの紫式部がいました。教わっているのは惟規なのに、読み方を覚えるのが遅く、忘れてしまうのも惟規。横で聞いていた紫式部のほうが、ふしぎなくらい早く覚えてしまったと、本人が日記に書いています。
惟規が兄か弟かは、はっきりしていません。弟とする説が多く、兄とする説もあります。習っていた書物の名前も日記には書かれていません(中国の歴史書『史記』だったと紹介されることがあります)。





ヒント:ほめ言葉に聞こえて、ほめ言葉ではありません。当時の「当たり前」が出ています。
答えは、「この子が男の子でなかったのが、わたしの不運だ」。
口惜しう、男子にて持たらぬこそ幸ひなかりけれ
日記の原文です。学問に熱心な父は、いつもこう嘆いていたそうです。男の子なら、その頭で学者や役人として出世できた。女の子では、その道がない。父なりに娘の力を認めていたからこその、くやしさでした。
ここで注目したいのは、紫式部が「習っていない」のに覚えたことです。机に向かって教わったのではなく、耳で聞いて、頭の中でくり返していた。昔の漢文は、声に出して読んで覚えるものでした。毎日聞こえてくる音が、そのまま頭に残っていったわけです。


夫を亡くしたあと、紫式部は藤原道長にまねかれ、道長の娘で一条天皇のきさき、中宮彰子に仕えます。宮中で働く女性(女房)になったのです。
ある日、一条天皇が『源氏物語』を読ませて、こう言いました。「この作者は日本紀(日本の歴史書)を読んでいるにちがいない。たいした学のある人だ」。
ほめ言葉です。ところがこれを聞いた同僚の女房が、「学をひけらかしている」と言いふらし、紫式部に「日本紀の御局」というあだ名をつけました。今で言えば、「歴史オタク先生」と陰で呼ばれたようなものです。
それから紫式部は、漢字の知識を徹底して隠しました。日記にこう書いています。
一といふ文字をだに書きわたしはべらず
「一」という、いちばん簡単な漢字さえ書かないようにしていた、という意味です。部屋の屏風に書かれた漢詩も、読めないふりをしていたといいます。





知っているのに、知らないふり。もったいない気もします。でも陰口の多い職場で、紫式部はそれがいちばんだと判断しました。
ところが、中宮彰子は漢文を学びたがりました。そこで紫式部は、ほかの女房がいないときを選んで、唐の詩人・白居易の詩集から楽府という詩を、2年ほど前の夏から少しずつ教えていたと日記に書いています。
隠していたつもりでも、道長と一条天皇は気づいていました。道長は、漢詩の本を美しく書き写させて、彰子に贈ったと日記にあります。知識は、見せびらかす場では隠し、必要としている人の役に立つ場では使う。紫式部はそう使い分けていました。
同じ日記には、少し前に一条天皇のもう1人のきさき・定子に仕えていた清少納言への、かなり辛口の言葉もあります。「得意顔をしていた人。かしこぶって漢字を書き散らしているが、よく見ればまだ足りないところが多い」。
ただ、2人が宮中で一緒に働いた時期はないと考えられています。清少納言は、知っている漢詩を明るく使って場を盛り上げる人でした。どちらが正しいということではなく、知識の見せ方の選び方がちがったのです。紫式部は「見せない」を選びました。
10世紀の終わりから11世紀の初めにかけて、藤原道長・頼通の親子のときに摂関政治が最も栄えた。道長は娘を天皇のきさきにし、その子を天皇に立てて力をふるった。
このころ、唐の文化をもとにしながら、日本の風土や生活に合った国風文化が生まれた。漢字をもとにしたかな文字が広まり、宮廷に仕える女性たちがかな文字で文学作品を書いた。紫式部の『源氏物語』、清少納言の『枕草子』が代表である。


宮中では隠していた漢文の知識。それは『源氏物語』の中に、たっぷり流れこんでいます。
いちばん最初の巻「桐壺」は、天皇が身分の高くない女性を深く愛し、まわりからねたまれる話です。物語の中で、宮中の人たちはこの2人を見て、中国の唐の皇帝と楊貴妃の話を思い出します。これは白居易の詩「長恨歌」に歌われた恋の話。彰子にこっそり教えていた、あの白居易です。
漢文を知らない読者は、恋の物語として夢中になる。漢文を知っている読者は、「長恨歌のあの場面だ」と、もう一段深く楽しめる。知識をひけらかすのではなく、物語をおもしろくする材料として使ったのです。
しかも書いたのは、漢文ではなく、かな文字でした。漢文の教養を土台にしながら、当時の女性たちが自由に使えたかな文字で、人の心の細かい動きまで書き分けました。





ヒント:五十四の巻(帖)に分かれていて、主人公の一生とその子どもの世代まで、70年あまりの話です。
答えは、400字詰めの原稿用紙で約2400枚(文字数にしておよそ100万字)。
文庫本なら10冊前後になる長さです。登場人物は数百人。これを、パソコンも印刷もない時代に、筆と紙で書きました。
出典:枚数・文字数は国語辞典・文学辞典などの一般的な紹介による。数え方で前後する。
『源氏物語』は、紫式部が石山寺(滋賀県)にこもって月をながめているときに書き始めた、という言い伝えもあります。ただ、これは後の時代に生まれた話で、確かめられていません。


1008年11月1日。紫式部の日記に、こんな場面があります。宮中のお祝いの席で、当時いちばんの文化人だった藤原公任が、「このあたりに若紫はいらっしゃいますか」と紫式部に声をかけました。若紫は、『源氏物語』に出てくる女性の名前です。
これが、『源氏物語』が実際に読まれていたことを示す、いちばん古い記録です。それからちょうど千年後の2008年に「源氏物語千年紀」が祝われ、今では11月1日は法律で「古典の日」になっています。
『源氏物語』が書かれてから十数年後、上総(今の千葉県の中ほど)で育った1人の少女が、『源氏物語』を読みたくてたまりませんでした。
13歳で京都に移り、ついに五十余巻をまとめて手に入れた少女は、昼も夜も読みふけり、「きさきの位だっていらない」と思うほど夢中になったと、のちに自分の日記に書いています。それが菅原孝標女の『更級日記』です。千年前、房総の中学生くらいの子が、今の皆さんがマンガの新刊を待つのと同じ気持ちで、物語の続きを待っていました。
1920年代に英語に訳されて世界で読まれるようになり、今では30を超える言語に訳されているといわれます。2024年には、紫式部を主人公にしたNHKの大河ドラマ「光る君へ」も放送されました。


紫式部は、耳で聞いて覚えました。今日はそのまねをします。『源氏物語』のいちばん最初の文です。
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
訳:どの天皇の時代だったでしょうか。女御や更衣(天皇のきさきたち)がおおぜいお仕えしていた中に、それほど高い身分ではないのに、とりわけ天皇に愛されている方がいました。
「時めく」は、今の「ときめく」と同じく、愛されて栄えていること。「やむごとなし」は、身分が高い。古文の授業で何度も出てくる言葉です。
3回読むと何が変わるか
1回目は字を追うだけで精一杯。2回目で区切りが見えてくる。3回目で、意味が少し勝手に入ってくる。
古文は、昔の人が声に出して読んでいた文です。目で読むより、声に出したほうがリズムがつかめます。





教科書の古文(中1の『竹取物語』、中2の『枕草子』)でも同じことができます。テスト前に、冒頭だけでも3回読んでみてください。


紫式部の一生や『源氏物語』の中身をもっと知りたくなったら、漫画が近道です。
小学館版 学習まんが人物館 清少納言と紫式部は、同じ時代を生きた2人を1冊で読める伝記まんがです。この記事で書いた2人のちがいが、物語でよく分かります。小学校中学年から。
角川まんが学習シリーズ まんが人物伝 紫式部は、紫式部1人に絞った伝記まんがです。漢文が得意な少女が、宮仕えをしながら『源氏物語』を書き上げるまでを追えます。小学校中学年から。
あさきゆめみしは、『源氏物語』そのものを漫画にした作品です。平安の貴族の着物、住まい、和歌のやりとりが細かく描かれていて、古文の授業の場面が目に浮かぶようになります。恋愛の話が中心なので、中学生以上。新装版は全7巻。




コテンラジオ(COTEN RADIO)は、歴史が大好きな深井龍之介さん・ヤンヤンさんと、歴史が苦手な樋口さんの3人が、1人の人物を何回にも分けてじっくり語る歴史のポッドキャストです。教科書では1行で終わる出来事の裏にある、人間くさい話が聞けます。
紫式部には「紫式部」の前編・後編、2回のシリーズがあります(2024年4月配信。COTEN RADIOショート)。前編(【49-1】)は紫式部の生い立ちと『源氏物語』が生まれた宮廷のようす、後編(【49-2】)は光源氏という主人公がどんな人物なのかを語っています。藤原道長がどうやって力をにぎったかは、「鎌倉武士編」の2回目(【34-2】)でも聞けます。
まずは1回目だけ聞いてみてください。おもしろければ、次の回が勝手に聞きたくなります。
聞くなら Voicy(アプリでもブラウザでも聞けます)がおすすめです。YouTube のように次のおすすめ動画が画面に出てこないので、気が散らずに話だけを追えます。ほかのアプリで聞くなら、Apple Podcasts/Spotifyでも聞けます。
音だけなので、通学の車の中や、寝る前の時間にそのまま聞けます。画面を見なくていいのが、ラジオのいいところです。


紫式部から、勉強に持って帰れることは2つあります。
1つ目は、耳と声で覚えること。紫式部は、横で聞こえてくる音で漢文を覚えました。英単語も古文も、目で見るだけより、声に出して、耳でも聞いたほうが残ります。
2つ目は、知識は見せびらかすためではなく、使うためにあるということ。紫式部は漢文の知識を自慢せず、彰子に教え、物語をおもしろくする材料にしました。覚えた言葉は、問題を解くとき、文章を書くとき、人に説明するときに使って、はじめて自分のものになります。
まなぶ君の国語の一問一答には、中1の「竹取物語・いろは歌」、中2の「枕草子・徒然草」など、古典の問題が入っています。1問解くたびに、声に出して答えを言ってみてください。歴史の一問一答で国風文化の問題に出会ったら、今日の紫式部を思い出してください。まなぶ君の相棒に紫式部を選ぶと、育つたびに平安時代の解説も読めます。
横で聞いていた音が、千年残る物語の土台になりました。まずは今日、古文の1文を3回、声に出して読むところから。


ランゲージ・ラボラトリー塾長、東進衛星予備校 館山校オーナー。安房郡白浜町(今の南房総市白浜町)に生まれ、白浜中から安房高校へ。高2で学年82人中81位まで落ちたところから、浪人して慶應義塾大学経済学部に合格しました。リクルートで4年働いたあと2011年に1993年開校の塾を先代から引き継ぎ、2015年から館山で小中学生を教えています。2026年卒の中学3年生は30名中8名が学年1位。志学館高校のSS特待には3年続けて合格者を出しています(2024年4名・2025年5名・2026年6名)。東進館山校は2026年の共通テストで平均+218.4点(千葉県内1位)。館山・南房総の高校入試を、塾で見てきた事実と数字で書いています。
塾長のプロフィール ランゲージ・ラボラトリーについて