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中学2年生の悩みに中だるみというものがある。勉強に身が入らないのだ。学校生活に慣れ余裕が生まれる。部活も楽しくなるし、友達ともなかよくなってくる。勉強以外のことが楽しくなってくる。またこれまでは周りの言う事を素直にやってきた。学校の先生が1日60分勉強しろ、といえばそれを目指して勉強したし親の言うことも素直に聞いた。しかし、中2前後になると自分で考えるようになる。なんで勉強しているんだろう?こんなものが何の役に立つんだろう?面白くないし。言われたことを何も考えずにやっていた状態から脱皮しようとすることがおこる。勉強以外が楽しくなる、自我の芽生えが重なって中2の中だるみはおこる。
塾生を見ていても中1はまだ純真無垢という感じでこちらの話をよく聞く。やる気も感じる。しかし、中2になると、なんだか疲れているし、やる気がない。スマホに溺れる子も多い。勉強も最低限。マストなものだけやり、主体的に自分からやることが少なくなってくる。いやマストなものさえやらない子もでてくる。
自分自身は中2のときにどうだったろうか振り返ってみた。実は僕もものすごく中だるみした。塾の帰りの迎えの車の中で、「なんで勉強するの?」「これってどう役にたつの?」「やってもやっても成績あがんないし。めんどくさい。つまらない。」そんなことを言っていたと思う。母はなんで勉強するのか、どう役に立つの→「さあー、なんでなんだろうね?」やっても成績あがんない。→「成績を上げるかどうかを決めるのは自分」という回答でどうにも腑に落ちなかった。
自分の成績は学年80人中10位だった。中1のときは。しかし中2で中だるみして、成績が落ちる。27位ぐらいまでおちたと思う。しかし中3で高校受験があるし、落ちたらやだし、ということでまた勉強するようになり最高で6番までいけた。成果がでると面白かったし、高校入試というわかりやすい目標があるのは良かった。
ただなぜ勉強するのか?という疑問に対する答えは自分のなかで出ていなかった。だから高1になり、最初は頑張った。レベルの高い同級生たちが集まっているのだから、今まで通りでは通用しないだろう。ビビリから勉強した。すると思いの外結果がでた。高1は最高で学年10位(320人中)。でも高2でまた中だるみして、下から2番まで下がった。中2のときと比べさらにひどい中だるみだった。いや自分の感覚は変わらなかったのだが、中学の先生に比べ、高校の先生は管理・監視をしない。だから、中学は怒られたくないし、最低限宿題をこなす程度のものはやった。でも高校では、宿題もこなさないし授業中は大半を寝て過ごしていた。
高3でもこの気持ちは変わらず、野球チームをみんなで作ってあそんでいた。でも仲のいい同級生が進路の話をしだす。大学にいく、専門に行く、○○になる。いろんな進路があるんだなーと思った。そして何も考えていない自分に焦る。ファッションに興味があったころだったので、アパレルはどうか?と考えたこともあった。おばが販売員だったから話を聞くと、立ち仕事、稼げない、稼いで服は土日に買いに行くのがいい。売るのが楽しいわけではなかった、という話を聞き、それもそうだと思った。美容師になろうと考え(当時はカリスマ美容師ブーム。キムタクビューティフル・ライフのころ)、代官山に髪の毛を切りに行ったりもしていた。しかし、ファッション好きはたくさんいるしレッドオーシャン。この業界の中で自分が勝っていけるのか?自信が持てなかった。美容師はトップの一握りは楽しく働いているが、そうでないとそれほど楽しくないのではないかと考えていた。実際どうかは知らないが。土日に働くのも、後々嫌になりそうだと思った。次は心理テストが好きだったから臨床心理士。メンタリストDaiGoのような相手の考えていることを見抜けるのが格好いいと思い、地元で臨床心理士の資格をもち、精神科に勤務している方の話を聞きに行った。そしたらその方は失礼ながらパッとしなかった(ホント失礼)。とても楽しそうに仕事をしている感じもせず、稼げていないという話を聞いた。自分は稼ぎたい、そして活躍したいという思いがあるんだと感じた。
将来なりたい職業を決め、そこから逆算して専門に行くか、大学に行くか、どの学部に行くかを決めるというものだと考えていたのだが、どうにも肝心の職業がきまらない。だから、その手前も決まらない。そんな中で大学図鑑と出会った。大学図鑑にかかれていたことは、僕のモヤモヤを吹き飛ばすものだった。
早稲田、慶応、上智はかっこいい。稼げる。まだまだ学歴社会だ。キラキラした大学生活を過ごせる。やりたいことから逆算して大学を選ばなくてもいい。行ってから考えればいい。そんな言葉は新鮮だった。
「学歴社会は崩壊した。好きなことを仕事にしよう。」母からもメディアからもそう言われていたような気がしていたので、それが正しい考え方なのかと思っていた。大学図鑑にかかれていたことは僕にとっては新しい考え方だった。だから、同級生たちは受験するんだ。そう考えるとずいぶんと納得が行った。安房高校の同級生たちはがんばり屋で尊敬していた。たしかに、早く進路を決めた○○高校の生徒たちよりも、どんな進路を選んだにせよ、基礎的がんばり力が高い、意識が高い人の方がどんな仕事をやっても成功するのだろう。そこで自分なりの勉強する意義が見つかった。「稼ぐ、モテる、成長する」だ。
そのことに気がついたときは高3の10月だった。2月の受験まで猛勉強をしたが、間に合わず浪人した。浪人生活で自分はだいぶ成長できたので、結果としては良かったのだが、予備校の代金、寮、生活費で200万円はかかった。もしも中だるみしなければ、浪人の1年はなかったのかもしれない。
今振り返って言えることは、
中だるみをしたときに、あまりにも成績を下げ過ぎると、(というか積み重ね教科がダメになると)後から挽回が効かなくなる。
中だるみしている中学生は、なぜ勉強しているのか?なんなのために自分は生きているんだろう?という根源的な悩みをもっているかと思う。迷ったときはたくさん本を読み、いろんな人に会い、話を聞く。自分で考える。考えたものをぶつけてみる。とにかく行動することで、自分なりの考えを持てる。そこを曖昧にごまかすと、必ず後でしっぺ返しがくる。
一方で、中だるみしてやる気がないとしても、積み重ね教科だけ(英語と数学)は勉強を継続しておくべきだと思った。