辞書もないのに、1冊を訳しきった。杉田玄白と『解体新書』

江戸時代の行灯の明かりの和室で、坊主頭の医者・杉田玄白がオランダ語の解剖書を開き、図を指でたどりながら眉を寄せて考えこんでいる。「1771年、杉田玄白」「辞書なしで解体新書」「知らない言葉は推し量る」の文字。

ランゲージ・ラボラトリーの小池です。

※この記事にはアフィリエイトリンクを含みます。

英語の長文を読んでいて、知らない単語が出てきた。そこで手が止まって、先に進めなくなる。そんな経験はありませんか。

今から250年前、知らない単語しかない本を、辞書もないまま最後まで訳した人たちがいます。杉田玄白すぎたげんぱくと仲間たちです。できあがった本が、教科書に出てくる『解体新書かいたいしんしょ』です。

年出来事
1733年江戸で、小浜藩(今の福井県)の医者の家に生まれる
1771年小塚原で腑分け(解剖)を見る。翌日から翻訳を始める
1774年『解体新書』を出す
1815年83歳で、思い出を『蘭学事始』に書き残す
1817年83歳で亡くなる

今日は、玄白たちがどうやって「読めない本」を読んだのかを書きます。そのやり方は、皆さんが英語の長文を読むときに、そのまま使えます。

目次

腑分けの日、本の図が正しかった

江戸の春の曇り空の下、むしろで囲まれた場所で、坊主頭の医者・杉田玄白がオランダ語の解剖書を両手で開き、目を見開いて図に見入っている。「本の図と、実物が同じだった」の文字。

玄白は、江戸の小浜藩の屋敷で、藩の医者の家に生まれました。自分も医者になります。

このころの日本の医者が学んでいたのは、中国から来た医学です。体の中は「五臓六腑」と考えられていて、その図は、実際の体を見て描いたものではありませんでした。

1771年(明和8年)3月4日。玄白は、江戸の小塚原こづかっぱらの刑場(今の東京都荒川区南千住)で、亡くなった人の体を開いて中を見る「腑分けふわけ」に立ち会います。手には、オランダ語の解剖の本を持っていました。オランダ語の題名から、今では『ターヘル・アナトミア』と呼ばれる本です。

このとき、同じく医者の前野良沢まえのりょうたくも来ていて、なんと同じ本を持っていました。2人は、本の図と目の前の体を見比べます。肺も、心臓も、胃や腸も、本の図のとおりでした。それまで習ってきた中国の図とは、まるで違っていました。

塾長 小池

本当かどうかは、本の偉さでは決まらない。実物と見比べて決める。玄白たちは、ここで「当たり前」を疑えた人たちです。

その帰り道、玄白・良沢・中川淳庵なかがわじゅんあんの3人は、この本を日本の言葉に訳そうと決めます。次の日には、もう良沢の家に集まっていました。

予想してみよう:3人のうち、オランダ語が読めたのは何人?

塾長 小池

ヒント:このころの日本には、オランダ語の辞書がありませんでした。

答えを見る

答えは、ほぼ良沢1人。それも、長崎で少し習っただけで、文章をすらすら読めるほどではありません。

玄白は、オランダ語をほとんど知らないところからの出発でした。

辞書なし、先生なしの翻訳

夕暮れの和室で、オランダ語の本を囲んだ杉田玄白が頭を抱えて途方にくれ、後ろで2人の仲間も腕を組んで考えこんでいる。「眉の1行に、まる1日」の文字。

いざ本を開いてみると、何が書いてあるのか、まったく分かりません。

玄白はそのときの気持ちを、のちに「櫓も舵もない船で、大海に乗り出したようだった」と書き残しています。たとえば、顔の説明にある「眉は、目の上に生えた毛である」という短い一文。これだけのことが、春の長い一日、日が暮れるまで考えても分からなかったと、玄白は書いています。

それでも、手がかりはゼロではありませんでした。玄白たちが使ったのは、次の3つです。

手がかり玄白たちがしたこと
図本の図には、体の部分に記号がついている。図と腑分けで見た実物を結びつけて、その記号の説明の文から読む
前後の文同じ言葉がほかのところでどう使われているかを集め、共通する意味を探す
知っている言葉良沢が長崎で覚えていた単語を足がかりに、分かった言葉を書きとめて、少しずつ増やす

だから、図と見比べやすい顔のあたりから読み始めて、分かった言葉を1つずつ増やしていきました。分かった単語が増えるほど、次の文の手がかりが増えます。最初はほとんど進まなかった翻訳が、少しずつ速くなっていきました。

予想してみよう:『解体新書』ができあがるまで、何年かかった?

塾長 小池

ヒント:月に何回も集まって、少しずつ進めました。

答えを見る

答えは、およそ3年半。そのあいだに、原稿を11回も書き直したといわれています。

1774年、『解体新書』は本文4巻と図1巻の5冊で出版されました。図を描いたのは、秋田藩の武士で絵の得意な小田野直武おだのなおたけです。

83歳で書き残した「フルヘッヘンド」の話

秋の庭に面した縁側で、白いまゆの年老いた杉田玄白が筆を持ち、掃き集められた落ち葉の山を見ながら、昔を思い出しておだやかにほほえんでいる。「40年あとの、思い出の記録」の文字。

ここまでの苦労を、なぜ今の私たちが知っているのか。玄白が83歳のときに、翻訳のころの思い出を1冊の本に書き残したからです。それが『蘭学事始らんがくことはじめ』(講談社学術文庫で現代語訳が読めます)です。

この本の中で、いちばん有名な話があります。

鼻の説明のところに、「フルヘッヘンド」という知らない言葉が出てきた。ほかの文を探すと、木の枝を切ったあとがフルヘッヘンドする、庭を掃くと落ち葉が集まってフルヘッヘンドする、という使い方がある。切ったあとは盛り上がり、集めた落ち葉は積もって高くなる。だから鼻は顔の中で「堆うずたかい(盛り上がっている)」ものだ。そう分かったときは、宝物を手に入れたようにうれしかった。玄白は、そう書き残しています。

「堆」は、理科で習う「堆積たいせき」の「堆」と同じ字です。

ただし、原書にその言葉はなかった

ところが、話には続きがあります。のちの研究者が『ターヘル・アナトミア』の鼻の説明を確かめたところ、フルヘッヘンドという言葉は見つからなかったのです(1982年の調査)。

40年以上も前のことを思い出して書いたので、別の言葉の記憶と混ざったのかもしれません。だからこの話は「本当にあったこと」ではなく、「玄白がそう書き残している話」として読むのが正しい読み方です。

塾長 小池

それでも、この話が伝えているやり方は本物です。分からない言葉は、ほかの文での使われ方を集めて、意味を推し量る。玄白たちが3年半やり続けたのは、まさにこれでした。

ちなみに、この『蘭学事始』を明治のはじめに本にして世に出すのに力を尽くした1人が、福沢諭吉です。福沢は、玄白たちが本を前に途方にくれる場面を読むたびに、涙を流したと伝わっています。福沢自身も、オランダ語を学んだあとで英語を一から学び直した人でした。

「神経」は、このときに生まれた言葉

明るい昼の書斎で、杉田玄白が筆を手に、書き損じの紙に囲まれて眉を寄せ、納得いかない顔でうなっている。「言葉が無いなら、作る」の文字。

訳していると、もう1つの壁にぶつかります。オランダ語の言葉に当たる日本語が、そもそも無いのです。西洋の医学にあって、日本の医学には無かった考えだからです。

玄白たちは、訳し方を3つに分けました。

訳し方どうするか
日本にある言葉に置きかえる骨・眉・鼻のように、同じものを指す言葉があれば、それを使う
意味から新しい言葉を作るぴったりの言葉が無いときは、意味を考えて漢字を組み合わせる
音をそのまま写すどうしても訳せない言葉は、オランダ語の音に漢字を当てる

2つ目のやり方で作られた言葉が、今も私たちが使っている「神経」や「軟骨」です。

予想してみよう:「神経」は、どの2つの言葉からできた?

塾長 小池

ヒント:昔の中国の医学で使われていた言葉を組み合わせています。

答えを見る

答えは、「神気」と「経脈」。

神気は心のはたらき、経脈は体の中を通る道のこと。2つを合わせて「神経」です。この言葉は日本だけでなく、のちに中国でも使われるようになりました。

知らない言葉を、知っている言葉の組み合わせで表す。英語の unhappy が un(〜でない)と happy(幸せ)でできているのと、考え方は同じです。

もう1つ、名前の話をしておきます。翻訳の中心だった良沢は、『解体新書』に自分の名前を載せませんでした。理由ははっきりしていませんが、訳の出来にまだ満足していなかったから、という説がよく知られています。

教科書にはこう載っている

8代将軍の徳川吉宗は、キリスト教に関係のない、中国語に訳された洋書の輸入をゆるめた。これをきっかけに、オランダ語でヨーロッパの学問を学ぶ蘭学が広まった。

1774年、杉田玄白・前野良沢らは、オランダ語の解剖書を翻訳して『解体新書』を出版した。

同じころ、本居宣長は『古事記伝』を書いて国学を大成した。蘭学を学んだ伊能忠敬は、のちに全国を測量して正確な日本地図をつくった。

やってみよう:知らない英単語を、辞書を引かずに当てる

放課後の学校の図書室で、館山中の制服の女子中学生が英語の教科書に鉛筆で線を引きながら、夢中で読み進めている。「予想してから、確かめる」の文字。

玄白たちのやり方を、英語でまねしてみます。用意するのは、教科書の本文か、英検・入試の長文を1つ。

  1. 知らない単語に鉛筆で線を引くだけにして、辞書は引かずに最後まで読む
  2. 線を引いた単語の意味を、手がかり(図・前後の文・知っている言葉)から予想して、横にメモする
  3. 読み終わってから、辞書か和訳で確かめる。当たっていたら○をつける

たとえば
Tom was so thirsty after soccer practice that he drank two bottles of water.
前後の文:サッカーの練習のあと、水を2本も飲んだ
→ 予想:thirsty は「のどがかわいた」

The story was unbelievable.
知っている言葉:un(〜でない)+ believe(信じる)+ able(〜できる)
→ 予想:「信じられない」

塾長 小池

全部当たらなくていい。予想してから確かめると、外れた単語ほど頭に残ります。○が増えていくのは、玄白たちが分かる言葉を1つずつ増やしていったのと同じです。

夏目漱石も、ある程度まで英語を学んだら、辞書を引かずにたくさん読むのがいいとすすめています。

玄白たちに会える漫画と小説

夜のリビングのソファで、館山中の制服の男子中学生が歴史漫画を読みながら、胸を打たれて目に涙をためている。「3年半の苦労を、漫画で追う」の文字。

翻訳の3年半を、もっとくわしく知りたくなったら、この3冊です。どれも中学生から読めます。

漫画で翻訳の現場をのぞく

風雲児たち 解体新書に挑む。は、江戸の終わりを描く大河漫画『風雲児たち』から、『解体新書』ができるまでの話をまとめた1冊です。玄白・良沢・淳庵が、辞書もない中で1語ずつ意味を探す苦労と熱気が、ギャグまじりで描かれます。中学生以上。

まんがで読破 解体新書は、本を手にした玄白たちが翻訳を決め、出版するまでを1冊の漫画にしたもの。短い時間で流れをつかみたい人向けです。中学生以上。

原作:杉田玄白、バラエティアートワークス(イースト・プレス)

名前を載せなかった良沢の側から読む

冬の鷹は、作家の吉村昭さんが、前野良沢を主人公に書いた歴史小説です。名前が広く知られた玄白と、名前を載せずに学び続けた良沢。同じ本を訳した2人の、学問への向き合い方の違いが見えてきます。大人向けの小説なので、中学生なら読書好きな人に。

もっと深く:コテンラジオで聞く

夕方、車の後部座席で館山中の制服を着た中学生がイヤホンで歴史のポッドキャストを聞き、頭の上に鎧の武士や着物の女性、城の場面が浮かんで、目を輝かせている挿絵

コテンラジオ(COTEN RADIO)は、歴史が大好きな深井龍之介ふかいりゅうのすけさん・ヤンヤンさんと、歴史が苦手な樋口さんの3人が、1人の人物を何回にも分けてじっくり語る歴史のポッドキャストです。教科書では1行で終わる出来事の裏にある、人間くさい話が聞けます。

杉田玄白や蘭学を語ったシリーズは、残念ながらまだありません(2026年10月に、番組の全回のタイトルと紹介文で確かめました)。代わりにすすめたいのが「科学技術の歴史編」(全12回)です。2回目は「想像から実験へ」、3回目は「科学革命」。昔の言い伝えより、目の前の実物で確かめる。玄白が小塚原で驚いた西洋の医学は、この流れの先にありました。

まずは1回目だけ聞いてみてください。おもしろければ、次の回が勝手に聞きたくなります。

聞くなら Voicy(アプリでもブラウザでも聞けます)がおすすめです。YouTube のように次のおすすめ動画が画面に出てこないので、気が散らずに話だけを追えます。ほかのアプリで聞くなら、Apple Podcasts/Spotifyでも聞けます。

音だけなので、通学の車の中や、寝る前の時間にそのまま聞けます。画面を見なくていいのが、ラジオのいいところです。

知らない単語で、止まらない

夜の自分の部屋の机で、館山中の制服の男子中学生がタブレットで英語の長文を読みきり、口を結んで小さくうなずいている。「推し量って、先へ進む」の文字。

玄白たちの手元にあったのは、辞書ではなく、図と、前後の文と、少しの知っている言葉でした。それだけで、3年半かけて1冊を読みきりました。

英語の長文も同じです。知らない単語が1つ出るたびに止まっていたら、テストの時間は足りません。推し量って先へ進み、あとで確かめる。この順番が、読める量を増やします。

まなぶ君の英検の長文読解は、問題を解くまで、その文の和訳と解説が開かない作りになっています。まず自分の力で読んで意味を推し量り、解いたあとで1文ずつ和訳で確かめる。まなぶ君を使っていれば、自動的にこの順番になります。

辞書のない時代に、1冊を訳しきった人たちがいました。皆さんの長文は、まずは今日の1本から。

この記事を書いた人

小池哲平のアバター 小池哲平 ランゲージ・ラボラトリー塾長

ランゲージ・ラボラトリー塾長、東進衛星予備校 館山校オーナー。安房郡白浜町(今の南房総市白浜町)に生まれ、白浜中から安房高校へ。高2で学年82人中81位まで落ちたところから、浪人して慶應義塾大学経済学部に合格しました。リクルートで4年働いたあと2011年に1993年開校の塾を先代から引き継ぎ、2015年から館山で小中学生を教えています。2026年卒の中学3年生は30名中8名が学年1位。志学館高校のSS特待には3年続けて合格者を出しています(2024年4名・2025年5名・2026年6名)。東進館山校は2026年の共通テストで平均+218.4点(千葉県内1位)。館山・南房総の高校入試を、塾で見てきた事実と数字で書いています。
塾長のプロフィール ランゲージ・ラボラトリーについて

目次