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中1の国語の授業。国語は文章の意味がわかるかどうかが重要だ。しかし、意味を考えない。字面だけ読んで音に変換して満足してしまっている。
「痛み」といったきわめて主観的とおぼしき感覚ですら、人間は他者とコミュニケーションを通じて獲得するということが明らかとなっている。
結構難しいことが書いてあるし、意味がわからないはずだ。しかし、スルッと通り過ぎてしまう。ん?この文どういうこと?と質問すると、生徒は「え?」という反応をする。質問されてはじめて意味を考え出す。どういうことって言われても…。設問のない部分だし。対して重要じゃないでしょ?という感じで、いつもは通り過ぎているのだろう。でも、文章の意味を考えることが重要だ。「痛みを他者とのコミュニケーションを通じて獲得する?例えばなに?」と疑問をまず持つことが大切だ。疑問を持ったまま読み進めると、こんな文章がでてくる。
その証拠に、満一歳ぐらいの子どもは、成人のように大げさに痛みを表現したりはしない。ヨチヨチ歩きを始めたばかりで足元もおぼつかなく、パタリとこけて皮膚をすりむいて出血しても、平然としていたりする。
ところが、そんなことが起きると周囲は大騒ぎだ。「まぁ、〇〇ちゃん大変!」と母親が血相を変えて、駆けつけたりする。…それ以降、子ども同じような事態に立ち至ると、自ら主体的に大騒ぎして見せるようになるのだ。…
この具体例を使って最初の文の意味を考える。ころんだとき周りの人が大騒ぎすることで、これは大変なことなんだって学習する。これが、痛みを他者とのコミュニケーションを通じて獲得するってことだ。と考えると最初の文の意味がわかる。こうやって文章を考えて読むクセをつけていくと設問に答えるのは簡単だ。まずは文章を読むこと。意味を考えること。ちゃんと意味を考えながら読むと、文章の意味がよく分かる。
国語の読解の問題には選択問題と記述問題がある。
しかし、選択問題が主流で記述問題は一部しかない。配点の比率でいうと、7割が選択、3割が記述という具合だ。
だから生徒たちの様子を見ていると、記述問題をまったく解かない子もいる。これじゃあ力はつかない。
選択問題は、どうしても自分で考えずになんとなくコレっぽいかなでとけてしまうことがある。
でも記述はそうはいかない。
記述こそが本当の読解力をつけるのに有効だ。
数年前、大学入試改革でセンター(共通テスト)国語を記述にするという構想があった。
採点者をどう手配するか、公平な採点基準をどう確保するかが難しいという理由で、記述にすることは見送られたがそれは採点者の都合であって受験者にとってどちらがいいかということではない。
塾では1クラス20名ちょっとだから、採点もしようと思えばできる。
でも、テストじゃないし、厳密な採点はしなくてもいい。採点基準を示して、解答例を示して、それをもとに自分で丸付け。それでいいのだ。
当塾では、力をつけるためにオール記述問題にして国語をといている。ごまかしはきかない。だから力がつくし、生徒たちは自分で考える。
問いている様子を見ても楽しそうだ。
代ゼミで国語現代文のNo.1講師(当時)笹井先生も言っておられたが、国語は簡単な問題と難しい問題の差が激しい。みんなが取る簡単な問題は深く考えなくても取れる。
選択肢の作りが甘い。だから文章の意味がわからなくても正解する。
点数としては大した差がついていないが、実は実力の差が激しくついている。表面的に生徒の点数だけ見て比較しているとここには気が付かない。
パッと答えられる子もいるが、一方で「え?」という感じの子もいる。本文がまるで読めていない。いや、本文を読むの?とい感じだ。本文を読まない子は記述問題に極端に弱い。答案用紙を見ると、記述問題だけキレイに空白だ。
これではなかなか実力がついていかない。まず本文を読む。
読み→解き、という手順である。
読むときには、抽象(まとめ)と具体に分けながら読む。具体はあくまで、抽象の説明。
いいたいことは抽象にある。
例えば、
抽象:偶然うまくいくことがある
具体:いたずらで薄く切ったポテトを揚げてみたら美味しいお菓子になった(ポテチ)
ならば、筆者の言いたいことは偶然うまくいくことがあるである。
具体は軽く読み流しながら、抽象の意味を抑えていく。すると文章がベターとただただ長いものではなく、シンプルで短く理解できる。
読み終わった後に「どういう話だった?」と尋ねると、本文を見る子は読めていない。
「〇〇っていう話です」そうだよね。じゃあ、それって例えばどういうこと?「△△っていうことです。」そうだね!本文を見ずに、秒速でこたえられると本文が読めている。自宅で練習するなら、一読した後にプリントを裏返しにして、質問するといいですよ。
小学生の国語の授業。問題演習でやたらと早くおわる子がいた。とき終わった様子をみると、正解率は6-7割程度。雑に、なんとなく選択肢を選んでいることが透けて見える。
演習した問題は以下のようなつくりだ。
上の説明部分をみんなで読み、その後問題演習をしている。知識は不要で(だって上に書いてある)、一つ一つ選択肢を吟味する考える粘りが必要な問題だ。
丸付けのさいに順番に答えを言ってもらう。その際に「理由は?」と聞いてみる。
卒業式の雰囲気だから、ピーンと張り詰めた感じ。だからウの厳粛!
というのが正解だが、理由を適当にパパッとやっていて、当たるも八卦当たらぬも八卦でやっている子は理由をすぐに口にできない。理由を考えて、答えを決めるという手順でやっていないからだ。
1回転目は適当にやっていたAくんも、「理由は?」って聞かれるんだ…と体験した。そして別問題での2回転目、理由を考えてといている。2回転目での正答率は9割にまで上がった。
もちろんこれは国語だけの問題ではない。他教科でも選択式の問題はある。特にそれが顕著に出るのは、地理にでてくる資料の読み取り問題だ。これが苦手という生徒も多いが、社会の問題は暗記・知識を問うものがほとんどだが、そんななか知識不要・暗記不要。なんの準備もいらずにとけるサービス問題だと僕は思っている。
選択肢を一個ずつ吟味して、時間をかけてゆっくりとく。仮にイが正解だと思ったとしても、ウ~オのどこが違っているかを必ずチェックする。そして、間違っている部分に線を引き、バツとつけておく。
「理由は?」と常に自分に問いかけて問題を解くのがコツである。
部分で分けて、マルバツと書き込む。全選択肢をつぶす。今回の問題は2つ正しい答えがあるが、全部つぶそうとしたときに、アレ?イもエも正解だぞ?となり、問題を見落としてたとしてもそれに気づくことができる。
理由を考えて問題の答えを作る。こんな当たり前のことのように感じることが意外とできていない。体感値で3割ぐらいの生徒ができていない。こうこうこうだから、答えはこれだ。自分なりの論理を持って、回答を選ぶと間違ったときも鮮烈に記憶が残る。だから覚えられる。問題演習を通じてどんどんと成長をしていく。自分なりの理由をもって、答えを選びたい。
そんな姿勢はクイズ番組を見ているとよく分かる。
この人すごいな-と感じる人は、わからない問題に対して、自分なりの論理を持ってこうだからこう、と考えている。知識がなくても正解ににじり寄る。
マンガでも感じられる。カイジで有名な福本伸行先生のゼロというマンガ。たまたま財布のなかにあったコインをばらまいて、その中から1枚をにぎる。その握った一枚は何かを当てるというクイズ。
主人公のゼロは自分なりの論理を構築して、回答を作る。
結果は不正解だったが、後わずかのところまでたどりつく。(ゼロは面白いからよむといい。この話は7巻。)ネタバレになるし、著作権の問題もあるので、全部を掲載できないが、ゼロの回答を作り上げる過程の推測がおもしろい。
意識の高いご家庭では、クイズ番組を見せるなどTVでも学習につながるものを、と考えていることがある。それは僕も賛成だ。ただ知識の収集に重きを置いていて、知らないことでも論理的に考えていくという手順に目がむいていないことがある。
本当にすごいのは知識ではない。頭がいい人が自分なりに考えていく手順をみれることにクイズ番組は価値がある。だから、知らないことでも正解をする確率が上がるし、仮に外れたとしても論理的に考えた結果外すというのは強烈な悔しさがあるので、鮮明に記憶に残る。結果として豊富な知識を得る。はじめに知識ありきと勘違いしないでほしい。
TVを前に親子でクイズ番組を見ていると一緒に答えを考えると思う。親も子も正解を知らない問題がでたときこそ、「これはこれこれこういう理由でこれが正解だと思うな!」お互いの論を話すのだ。もちろん正解が出る前に。すると、クイズ番組をより本質的に楽しむことができると思う。
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