2度の島流しから、時代の真ん中へ。西郷隆盛の浮き沈み

南の島の海辺の木の格子の牢の中で、着物姿の西郷隆盛が風に吹かれながら、真剣な目で本を読んでいる。「浮き沈みの人・西郷隆盛」「2度の島流しから頂点へ」「牢の中で何をしていた?」の文字。

ランゲージ・ラボラトリーの小池です。

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東京の上野公園に、犬を連れた着物姿の大きな銅像があります。西郷隆盛さいごうたかもりです。

教科書では、薩長同盟、江戸無血開城、西南戦争。いつも時代の真ん中にいる人に見えます。でもその一生は、上がっては落ち、落ちてはまた上がる、浮き沈みの連続でした。

年(年齢)出来事浮き沈み
1854年(26歳)殿様の島津斉彬しまづなりあきらに見いだされ、江戸へ上がる
1858年(30歳)斉彬が急死。仲間の僧と冬の海に身を投げるどん底
1859年(31歳)名前を変えて奄美大島へ(1度目の島)沈む
1862年(34歳)呼び戻されるが、また島へ流される(2度目の島)どん底
1864年(36歳)ふたたび呼び戻される上がる
1866〜68年(38〜40歳)薩長同盟・江戸無血開城頂点
1873年(45歳)明治政府を去る沈む
1877年(49歳)西南戦争で亡くなる最期

年齢は満年齢。島にいたのは、合わせて5年ほどです。

今日は、この表の「沈む」「どん底」のところを、いちばん長く書きます。沈んでいた時期に何をしていたか。そこに、西郷がもう一度上がれた理由があると、小池は思っています。

目次

殿様に見いだされ、そして冬の海へ

冬の夜明けの浜辺で、ずぶぬれの着物姿の西郷隆盛がひざをつき、涙を浮かべて灰色の海を見つめている。「自分だけが、生き残った」の文字。

西郷は1828年、薩摩藩(今の鹿児島県)の城下町に、身分の低い武士の長男として生まれました。家は貧しく、きょうだいも多い家でした。

若いころ、西郷は農村を回る役所(郡方)の下役をしていました。そこで見た農民の苦しさを、意見書にして藩に出しています。それが、新しく藩主になった島津斉彬の目に留まったといわれます。

1854年、西郷は斉彬のお供で江戸へ。殿様のそばで、ほかの藩の大名や学者のもとへ使いに走る役目をまかされます。身分の低い若者が、日本の政治のど真ん中に出入りするようになった。ここが最初の「上がる」です。

塾長 小池

西郷にとって斉彬は、殿様であり、先生でした。だからこそ、次に来るものが重い。

1858年、その斉彬が急に亡くなります。同じころ、幕府の大老・井伊直弼が、幕府に反対する人たちを次々にとらえ始めました(安政の大獄)。

西郷は、仲間の僧・月照げっしょうをかくまって薩摩へ逃げます。ところが藩は、幕府ににらまれるのをおそれて、月照を受け入れません。行き場を失った2人は、その年の冬、錦江湾きんこうわん(鹿児島の海)に一緒に身を投げました。

引き上げられたとき、月照はもう亡くなっていました。西郷だけが、息を吹き返しました。30歳でした。

教科書にはこう載っている

1858年、大老の井伊直弼は、朝廷の許可を得ないまま日米修好通商条約を結んだ。これに反対する大名や公家、武士たちを厳しく処罰した(安政の大獄)。吉田松陰らが処刑された。

1860年、井伊直弼は江戸城の桜田門の外で、元水戸藩士らに暗殺された(桜田門外の変)。

2度の島流し:沈んでいた5年間

南の島の古い民家の座敷牢で、やせた西郷隆盛が格子の内側から本を開いて見せ、島の子どもたちが身を乗り出して聞いている。「牢の中でも、学び、教えた」の文字。

生き残った西郷を待っていたのは、南の島での暮らしでした。しかも1回ではありません。

予想してみよう:1度目の島行き、西郷は「罪人」だった?

塾長 小池

ヒント:幕府は、月照と一緒にいた西郷を探していました。

答えを見る

答えは、罪人ではありません。幕府の目から隠すために、藩が西郷を「死んだことにして」、菊池源吾きくちげんごという別の名前で奄美大島に住まわせたのです。

ただ、本人にとっては同じことでした。殿様も仲間の僧も失い、自分だけ生き残って、知らない島で名前まで変えて暮らす。島に着いたばかりの西郷は、なかなか島の人と打ち解けられなかったといわれています。

1度目の島:奄美大島で、家族ができる

1859年から3年ほど、西郷は奄美大島の龍郷たつごうで暮らします。

そのうち島の人との暮らしになじみ、島の娘・愛加那あいかなと結婚しました。長男の菊次郎きくじろうと、長女の菊草きくそうが生まれています。

このころ奄美の人たちは、薩摩藩に黒砂糖を厳しく取り立てられ、苦しい暮らしをしていました。西郷はその様子を間近で見て、島の役人に意見したとも伝わっています。若いころに農村で見た苦しさと、同じものを島でも見たわけです。

1862年、西郷は藩に呼び戻されます。ところが、島の妻は島の外へ出ることが許されませんでした。愛加那と子どもたちは、島に残ることになります。

2度目の島:今度は本物の罪人として

呼び戻した中心にいたのは、斉彬の弟で、藩の実権をにぎっていた島津久光しまづひさみつです。久光は、兵を連れて京都へ上る計画を立てていました。

ところが西郷は、この計画に正面から反対します。久光に向かって「斉彬さまのようにはいかない」と言い放ったとも伝わっています。さらに、「下関で待て」という命令を破って、先に大坂へ向かいました。京都・大坂で暴れかけていた仲間を止めるためでしたが、久光は激怒します。

西郷はとらえられ、徳之島とくのしまへ、さらに遠い沖永良部島おきのえらぶじまへ流されました。今度は、罪人としての島流しです。

吹きさらしの牢の中で

沖永良部島で西郷が入れられたのは、屋根と格子だけの、吹きさらしの牢でした。雨も風も、そのまま吹きこみます。西郷は体を壊し、すっかりやせ細ってしまいました。

見かねたのが、牢の見張り役だった島の役人・土持政照つちもちまさてるです。上の役人にかけあって、家の中の座敷牢に移れるようにしました。

ここからの西郷が、この記事でいちばん伝えたいところです。命を落としかけた牢の中で、西郷は次のことをしていました。

牢の中でしていたことそこから伝わっていること
本を読みこむ儒学者・佐藤一斎さとういっさいの『言志四録げんししろく』から、心に残った101の言葉を書き抜いたといわれる。この書き抜きは、最期の戦いまで持ち歩いた
島の子どもに学問を教える座敷牢に移ってから、島の子どもたちに学問を教えた
島の人と交わる島の人と相撲をとり、島を出るときには島の役人の心得を書いて残した
考えを深めるのちに好んで書いた言葉「敬天愛人けいてんあいじん」(天を敬い、人を愛する)の考えは、この島で固まったと伝わる

沖永良部島での牢の暮らしは、1年7か月。外から見れば、何もできない時間です。でも西郷は、その時間を「読む」「教える」「考える」に使いました。

塾長 小池

どん底でも、できることは残っていた。西郷が島で積んだのは、読んだ言葉と、人を見る目でした。

月照との入水から2度の島流しまでは、コテンラジオ「西郷隆盛編」の4回目でじっくり語られています(聞き方は記事の最後に)。

呼び戻されて、時代の真ん中へ

江戸の屋敷の座敷で、西郷隆盛と勝海舟が向き合って座り、話がまとまって西郷がほっとした顔でうなずいている。「戦わずに、江戸を守った」の文字。

1864年、西郷はもう一度呼び戻されます。幼なじみの大久保利通たちが「今の薩摩には西郷が要る」と久光を説得したのです。36歳でした。

ここからの西郷は、まるで別人のように時代を動かしていきます。

  1. 1864年、幕府の勝海舟かつかいしゅうと会い、「幕府だけではもう日本をまとめられない」という考えを聞く
  2. 1866年、坂本龍馬さかもとりょうまらの仲立ちで、長州藩の木戸孝允と手を組む(薩長同盟)
  3. 1868年、新政府の軍を率いて江戸へ。総攻撃の直前に、勝海舟と話し合って取りやめる(江戸無血開城)

島で書き抜いた言葉、島で見た人の暮らし。沈んでいた時期に積んだものが、人と話し、人を動かす力になって表に出てきました。敵だったはずの長州と組み、敵の大将だった勝海舟と話して戦いを止めたのは、その力です。

予想してみよう:西郷が戦わずに守った江戸。何人が住んでいた?

塾長 小池

ヒント:当時、世界でも指折りの大都市でした。

答えを見る

答えは、およそ100万人。

西郷と勝海舟の話し合いがなければ、その町が戦場になっていました。2人が会ったのは総攻撃の予定日の直前。ぎりぎりの話し合いでした。

教科書にはこう載っている

1866年、坂本龍馬らの仲立ちで、薩摩藩と長州藩が同盟を結んだ(薩長同盟)。

1867年、15代将軍の徳川慶喜は政権を朝廷に返した(大政奉還)。朝廷は王政復古の大号令を出し、天皇中心の新しい政府をつくることを宣言した。

1868年、新政府軍と旧幕府軍のあいだで戊辰戦争が始まった。江戸城は、西郷隆盛と勝海舟の話し合いで、戦わずに明け渡された。

頂点から、最後の戦いへ

秋の夕暮れ、山の上の木立の中で、西郷隆盛が眼下の町と海に浮かぶ火山を見下ろし、さびしさと覚悟のまじった静かな顔をしている。「もう、ここらでよか」の文字。

明治になると、西郷は新しい政府の中心に立ちます。1871年の廃藩置県で、全国の藩をなくして県を置くという大きな改革ができたのも、西郷が兵を率いて政府の後ろについたからだといわれます。

ところが1873年、朝鮮への使節をめぐって政府の仲間と意見が割れ、西郷は政府を去って鹿児島に帰ります。鹿児島では若者のための学校(私学校)を開きました。

1877年、政府への不満をつのらせた鹿児島の士族たちが立ち上がり、西郷はその先頭に立つことになります。西南戦争です。半年あまりの戦いの末、西郷は鹿児島の城山で亡くなりました。49歳。最後に「もうここらでよか」と言ったと伝わっています。

この最後の「沈み」から、西郷は自分で上がることはできませんでした。それでも12年後、大日本帝国憲法が出されたときに罪を許され、さらにその9年後、上野にあの銅像が建ちます。国と戦った人が、国じゅうから慕われる人になりました。

塾長 小池

最後の戦いが正しかったかどうかは、今でも意見が分かれます。それでも慕われ続けるのは、島で固めた「人を愛する」生き方が、ぶれなかったからだと小池は思います。

教科書にはこう載っている

1873年、朝鮮に使節を送るかどうかで政府内の意見が分かれ、西郷隆盛や板垣退助らが政府を去った。

1877年、鹿児島の士族らが西郷隆盛をおし立てて反乱を起こしたが、徴兵令でつくられた政府軍にしずめられた(西南戦争)。これ以後、政府への批判は、武力から言論へと移っていった。

やってみよう:自分の「島の時間」の過ごし方

夕方の自分の部屋で、館山中の制服の男子中学生が返ってきたテストを握りしめ、悔しそうに歯を食いしばっている。窓の外は海。「今のきみの『島』はどこ?」の文字。

テストで思ったより点が取れなかった。部活でレギュラーから外れた。何をやってもうまくいかない時期は、だれにでも来ます。西郷の言葉で言えば、今、島にいるような時期です。

西郷が島でしていたのは、特別なことではありません。読む、教える、書き抜く。牢の中でもできることでした。今日は、そのまねをしてみます。

  1. 今の自分の「島」を1行で書く(例:数学のテストが45点だった)
  2. その島の中でもできることを3つ書く。大きなことでなくていい
  3. 3つのうち1つを、今日のうちにやる

たとえば
島:数学のテストが45点だった
できること①:×だった問題だけ、まなぶ君でもう一度解く
できること②:解き方が分かった1問を、友だちか家の人に説明してみる
できること③:先生の解説で「なるほど」と思った1行を、ノートに書き抜く

塾長 小池

②は西郷の「教える」、③は「書き抜く」のまねです。人に説明できた問題は、次のテストでもう落としません。

西郷に会える漫画

休日のリビングのソファで、館山中の制服の女子中学生が歴史の漫画に夢中になってページをめくっている。「漫画で、一生をひと通り」の文字。

西郷の一生をもっと知りたくなったら、漫画が近道です。小学生向けの学習まんがは2冊。どちらか1冊で、一生がひと通りつかめます。

学習まんがで一生を追う

小学館版 学習まんが人物館 西郷隆盛は、子ども時代から城山まで、西郷の一生を1冊で追える伝記まんがです。幕末の歴史の研究者・落合弘樹さんが監修しています。小学校中学年から。

シナリオ:黒沢哲哉、まんが:吉祥寺笑、監修:落合弘樹(小学館)

角川まんが学習シリーズ まんが人物伝 西郷隆盛は、日本史の研究者・山本博文さんが監修した伝記まんがです。身分の低い武士の家に生まれた西郷が、明治の新しい国をつくる側に回るまでを描きます。小学校中学年から。

だんドーン(泰三子)

だんドーンの主人公は、西郷の部下で、のちに「日本の警察の父」と呼ばれる川路利良。薩摩藩の下っ端から見た幕末を、笑いたっぷりに描く歴史コメディです。作者は警察官の仕事を描いた漫画で知られる泰三子さん。青年漫画なので、中学生以上。

もっと深く:コテンラジオで聞く

夕方、車の後部座席で館山中の制服を着た中学生がイヤホンで歴史のポッドキャストを聞き、頭の上に鎧の武士や着物の女性、城の場面が浮かんで、目を輝かせている挿絵

コテンラジオ(COTEN RADIO)は、歴史が大好きな深井龍之介ふかいりゅうのすけさん・ヤンヤンさんと、歴史が苦手な樋口さんの3人が、1人の人物を何回にも分けてじっくり語る歴史のポッドキャストです。教科書では1行で終わる出来事の裏にある、人間くさい話が聞けます。

西郷隆盛には「西郷隆盛編」という全16回のシリーズがあります(2026年3〜5月配信)。この記事の場面は、月照との入水と2度の島流しが4回目、島から呼び戻されるのが5回目、勝海舟と薩長同盟が6回目、江戸無血開城が9回目、西南戦争と最期が15・16回目で聞けます。1回目は、西郷が生まれる前の薩摩藩の話から始まります。

まずは1回目だけ聞いてみてください。おもしろければ、次の回が勝手に聞きたくなります。

聞くなら Voicy(アプリでもブラウザでも聞けます)がおすすめです。YouTube のように次のおすすめ動画が画面に出てこないので、気が散らずに話だけを追えます。ほかのアプリで聞くなら、Apple Podcasts/Spotifyでも聞けます。

音だけなので、通学の車の中や、寝る前の時間にそのまま聞けます。画面を見なくていいのが、ラジオのいいところです。

沈んでいる時期が、次の土台になる

夜の勉強机で、館山中の制服の男子中学生がタブレットで問題を解き直し、解けた瞬間にやり切った笑顔で小さくガッツポーズをしている。「沈む時期は、積む時期」の文字。

西郷の一生を表にすると、上がったところばかりが目立ちます。でも、上がるための力をためていたのは、いつも沈んでいた時期でした。

勉強も同じです。テストが悪かったときは、どこでつまずいたかがいちばんよく見えるときです。×だった問題を1問ずつ解き直すのは地味ですが、それが次のテストの土台になります。

まなぶ君の一問一答には、薩長同盟、江戸無血開城、西南戦争と、今日の話に出てきた言葉がそろっています。今日読んだ場面を思い出しながら解くと、1問1問が西郷の一生の1コマになります。

沈んでいる時期は、終わりではありません。積む時期です。まずは今日の1問から。

この記事を書いた人

小池哲平のアバター 小池哲平 ランゲージ・ラボラトリー塾長

ランゲージ・ラボラトリー塾長、東進衛星予備校 館山校オーナー。安房郡白浜町(今の南房総市白浜町)に生まれ、白浜中から安房高校へ。高2で学年82人中81位まで落ちたところから、浪人して慶應義塾大学経済学部に合格しました。リクルートで4年働いたあと2011年に1993年開校の塾を先代から引き継ぎ、2015年から館山で小中学生を教えています。2026年卒の中学3年生は30名中8名が学年1位。志学館高校のSS特待には3年続けて合格者を出しています(2024年4名・2025年5名・2026年6名)。東進館山校は2026年の共通テストで平均+218.4点(千葉県内1位)。館山・南房総の高校入試を、塾で見てきた事実と数字で書いています。
塾長のプロフィール ランゲージ・ラボラトリーについて

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