みんなのお金で、大きなことを。渋沢栄一がパリから持ち帰ったしくみ

1867年のパリ、柱の並ぶ石造りの大きな取引所の前で、ちょんまげを切って洋服を着た若い渋沢栄一が、目を丸くして建物を見上げている。「一万円札の人・渋沢栄一」「みんなのお金で大きなことを」「パリで見た会社のしくみ」の文字。

ランゲージ・ラボラトリーの小池です。

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お財布に一万円札があったら、見てみてください。2024年から、顔は渋沢栄一しぶさわえいいちです。

渋沢は、銀行や会社をたくさんつくった人。でも、自分ひとりが大金持ちになった人ではありません。やったことをひと言でいえば、みんなのお金を集めて、ひとりではできない大きなことをするしくみを、日本につくったことです。

年(年齢)出来事
1840年(0歳)今の埼玉県深谷市の農家に生まれる
1856年(16歳)代官に見下され、身分のしくみに怒る
1863年(23歳)幕府を倒すため、城を乗っ取る計画を立てる(中止)
1864年(24歳)倒そうとしていた側の一橋家に仕える
1867年(27歳)パリ万博へ。銀行と株式会社のしくみを見る
1873年(33歳)第一国立銀行を開く
1916年(76歳)『論語と算盤』が出る
1931年(91歳)亡くなる

出典:埼玉県「渋沢栄一の偉業・年譜紹介」。年齢は満年齢。

今日は、渋沢がどこでそのしくみに出会い、どうやって日本に根づかせたのかを追います。読み終わるころには、公民の「株式会社」と数学の「割合」が、1本の線でつながって見えるはずです。

目次

見下された少年が、倒そうとした側に仕えるまで

江戸時代の役所の畳の間で、農家の着物を着た16歳の渋沢栄一が正座し、こぶしをひざに置いて歯を食いしばっている。奥の一段高い所では刀を差した役人がふんぞり返っている。「生まれだけで、見下された」の文字。

藍玉の商売と、論語

渋沢の家は、米や麦をつくり、蚕かいこを育て、そのうえ藍玉あいだまの商売もしていました。藍玉は、藍の葉を発酵させて固めた染め物の材料です。葉を買い集め、藍玉にして、染め物屋に売る。農家であり、商人でもある家でした。

渋沢は10代のころから、葉の買い付けに出ていたと伝わります。葉のよしあしを見分け、値段を決め、お金を回す。商売の感覚は、ここで体にしみこみました。

もう1つ、子どものころから親しんだのが、論語ろんごです。いとこの尾高惇忠おだかあつただから、2500年ほど前の中国の思想家・孔子の言葉をまとめた論語などを学びました。この論語が、のちに渋沢の人生の「物差し」になります。

500両の御用金

16歳のとき(数えで17歳)、渋沢は父の代わりに、領主の役所に呼ばれました。代官は「御用金ごようきん(藩に納める臨時のお金)として500両を出せ」と命じます。

渋沢が「父に聞いてから返事をします」と答えると、代官は「百姓のくせに」と、さんざんにあざけったと伝わっています。結局、父はお金を出しました。

能力でも中身でもなく、生まれた身分だけで、人が人を見下せる。この悔しさが、渋沢を「世の中のしくみを変えたい」という方向へ押し出しました。

塾長 小池

渋沢の一生は、この日の悔しさから始まっています。怒りで終わらせず、「しくみが悪い」と考えたのが渋沢らしいところです。

城を乗っ取る計画、そして一橋家へ

23歳のころ、渋沢は「外国を追い払い、幕府を倒せ」という尊王攘夷の考えに燃えていました。仲間と、高崎城を乗っ取り、横浜の外国人の住む町を焼き討ちにする計画まで立てます。

ところが、京都の様子を見てきたいとこに「今やっても犬死にだ」と止められ、計画は中止。役人に目をつけられた渋沢は、京都へ逃れます。

そこで渋沢がしたのは、驚くような選択でした。徳川の一族である一橋家(のちの15代将軍・徳川慶喜の家)に、家来として仕えたのです。倒そうとしていた側の、ど真ん中です。

一橋家で渋沢は、年貢米の売り方を工夫したり、特産品の木綿を売るしくみを整えたりして、家のお金を増やしました。藍玉の商売で身につけた感覚が、ここで生きます。考えを変えて、目の前でできることに力を注いだ。その腕を買われて、次の大きな役目が回ってきます。

パリで、ちょんまげを切った

1867年のパリのホテルの部屋で、まげを切って短い髪になった若い渋沢栄一が、洋服のシャツ姿で大きな鏡をのぞきこみ、新しい自分を興味しんしんで見ている。机には切ったまげとはさみ。「攘夷の若者が、まげを切った」の文字。

1867年、フランスのパリで万国博覧会が開かれました。幕府は、慶喜の弟でまだ14歳の徳川昭武とくがわあきたけを、日本の代表として送ります。渋沢はその一行に加わり、お金の管理や記録の係をまかされました。27歳でした。

パリで渋沢は、銀行、株式の取引所、病院、ガスや水道まで、見られるものを片っぱしから見て回ります。そして、ちょんまげを切り、洋服を着るようになりました。攘夷で外国を追い払おうとしていた若者が、です。

予想してみよう:パリで渋沢がいちばん驚いたことは?

塾長 小池

ヒント:渋沢が16歳のときに味わった、あの悔しさを思い出してください。

答えを見る

答えは、銀行家と軍人が、対等に話していたことです。

一行の世話をしていた銀行家のフリュリ=エラールと、軍人のヴィレットが、どちらが上ということもなく意見を言い合っていた。武士が商人を見下すのが当たり前だった日本から来た渋沢には、信じられない光景だったと、のちに語っています。

お金を回す人が、国を守る人と同じように大切にされている。渋沢が持ち帰ろうと決めたのは、このしくみと考え方でした。

パリにいる間、渋沢は一行のお金を預かり、フランスの国債や鉄道の社債を買って増やしたといわれます。お金をただ金庫にしまっておくのでなく、世の中に回して増やす。そのしくみを、自分の手で試したわけです。

ところが1867年の秋、日本では慶喜が政権を朝廷に返します(大政奉還)。仕えていた幕府がなくなり、渋沢は1868年に帰国しました。

みんなのお金を集めて、大きなことをする

明治の初めの東京、和風と洋風がまじった白い大きな銀行の建物の前で、洋服姿の渋沢栄一が笑顔で片手を広げ、着物姿の町の人たちが小さな包みを手に集まってくる。「1人の大金より、1000人の1万円」の文字。

帰ってきた渋沢が、まず静岡で始めたのが「商法会所」です。人びとからお金を出してもらって1つの元手にし、商売や貸し付けをして、もうけを出したお金の割合で分ける。日本で最初の株式会社のようなものだったといわれます。

渋沢はこの考え方を「合本がっぽん」と呼びました。本(元手)を合わせる、という意味です。

ひとりのお金でやる合本(みんなのお金でやる)
元手大金持ち1人の財産まで1人は少しでも、人数が集まれば大きい
できること小さな店・その人がやりたいこと鉄道・銀行・工場のような大きなこと
もうけその人のもの出したお金の割合で、みんなで分ける
失敗したときその人がすべて背負うみんなで少しずつ受け止める

1人が1万円を出しても、ただの1万円です。でも1000人が1万円ずつ出せば1000万円。そのうえ、もうけも損も「出した割合」で分けるので、小さく出した人も大きく出した人も納得できる。公民で習う株式会社は、まさにこのしくみです。

国の役人から、銀行の人へ

1869年、渋沢は新しい明治政府に呼ばれ、国のお金を扱う役所(のちの大蔵省)に入ります。税のしくみやお金の制度づくりに関わり、群馬県の富岡製糸場とみおかせいしじょうの計画にも関わりました。初代の場長は、あの論語の先生、いとこの尾高惇忠です。

ところが1873年、渋沢は役人をやめてしまいます。「国を強くするには、役人ではなく、民間の会社が力をつけなければいけない」と考えたからです。パリで見た、銀行家が軍人と対等に話す国。それを日本でつくるには、自分が民間の側に立つしかありませんでした。

同じ年、渋沢は日本で最初の銀行、第一国立銀行を開きます。たくさんの人のお金を預かり、それを会社に貸して、会社を育てる。銀行は、合本の心臓のような役目です。

予想してみよう:渋沢がつくるのに関わった会社は、いくつ?

塾長 小池

ヒント:1年に1社なら、91年の一生で91社。それよりずっと多いです。

答えを見る

答えは、約500。そのほかに、学校や病院、身寄りのない人を助ける施設など、約600の社会のための仕事にも関わりました。

渋沢が関わった会社今の名前(の元)
第一国立銀行(1873年)みずほ銀行
抄紙会社(1873年)王子製紙・日本製紙
東京株式取引所(1878年)東京証券取引所
東京海上保険会社(1879年)東京海上日動火災保険
東京瓦斯会社(1885年)東京ガス
札幌麦酒会社(1887年)サッポロビール

出典:数は渋沢栄一記念財団、埼玉県「渋沢栄一の偉業・年譜紹介」。

答えの表の名前を見ると、今でも毎日のくらしで目にする会社ばかりです。渋沢は、1つの会社をずっと自分のものにするより、会社を立ち上げては次の人に任せ、また次の会社を立ち上げることを選びました。

役人の渋沢を、西郷隆盛が訪ねてきた夜

役人だったころの渋沢を、ある晩、西郷隆盛さいごうたかもりが訪ねてきたことがあります。相馬藩(今の福島県)では、二宮金次郎(尊徳)のやり方で藩の財政を立て直していました。国の改革でそれをやめさせないでほしい、という頼みでした。

渋沢は、金次郎のやり方のよさを説明したうえで、「1つの藩の立て直しは守れと言いながら、国全体の立て直しはどうお考えですか」という意味のことを返したと、のちに語っています。西郷は何も言わずに帰ったそうです。

入ってくるお金を確かめてから、使うお金を決める。金次郎が村でやったことを、渋沢は国の大きさで考えていました。

教科書にはこう載っている

明治政府は、近代的な産業を育てる殖産興業をすすめた。1872年、群馬県に官営の富岡製糸場が開かれた。

1872年に国立銀行条例が出され、翌1873年、渋沢栄一らによって第一国立銀行が設立された。渋沢は、多くの会社の設立にかかわった。

論語と算盤:正しく稼いで、世の中に回す

大正の書斎で、年を重ねた渋沢栄一が、机の上の古い本とそろばんに手を置き、こっそり持ちかけられたずるいもうけ話に厳しい顔で手を上げて断っている。「うそでは、もうけない」の文字。

会社をたくさんつくった渋沢が、いちばん大事にしたのは、お金そのものではありませんでした。76歳のときに出た『論語と算盤』という本に、その考えがまとまっています(講演で話したことを集めた本です)。

意味渋沢の言いたかったこと
論語正しい生き方・人への思いやりもうけのために、うそをついたり人をだましたりしない
算盤そろばん=お金の計算・商売正しいことも、続けるにはお金が要る。稼ぐことをはずかしがらない

当時の日本では、「お金の話をするのは品がない」「商人は武士より下」と思われていました。渋沢はその両方に反対します。正しさと稼ぐことは、片方だけでは続かない。両方がそろって、はじめて世の中を良くできる、と。

そして稼いだお金は、自分のためにため込まず、学校や病院、身寄りのない人の施設に回しました。東京の養育院(身寄りのない子どもやお年寄りを助ける施設)の院長は、50年以上つとめています。

塾長 小池

16歳で「身分で人を見下すな」と怒った少年が、76歳で「正しく稼げ、そして回せ」と書いた。ぶれていないんです。

2024年、渋沢は一万円札の顔になりました。同じ年に五千円札は津田梅子、千円札は北里柴三郎。3人とも、明治の日本に新しいしくみを持ちこんだ人です。

やってみよう:お年玉で、お金の流れを追う

冬のリビングのこたつで、私服の中学生がお年玉袋と電卓を前に身を乗り出し、夢中で計算している。そばにはノートとタブレット。「お年玉の1万円、どこへ行く?」の文字。

渋沢がつくったしくみは、今も皆さんのすぐそばで動いています。今日は、お年玉を使って、その流れを2つ追ってみます。

その1:銀行に預けたら、利子はいくら?

お年玉の1万円を、銀行の普通預金に1年預けたとします。利子(銀行がお金を借りたお礼に払うお金)の割合を、年0.2%としましょう。

まず自分で計算してから、下の答えを開いてください。

答えと考え方

答えは、20円です。10000円×0.002=20円。

さらに利子には約20%の税金がかかるので、実際に増えるのは16円ほど(銀行によって端数の扱いがちがいます)。1万円を1年預けて、16円。思ったより少ないと感じたかもしれません。

でも、銀行の側から見ると話が変わります。町じゅうの人の1万円が集まれば、何億円にもなる。銀行はそれを会社に貸して、会社は工場やお店を広げる。皆さんの1万円は、金庫で眠っているのではなく、町の会社を動かしているのです。

その2:身近な会社の「持ち主」を調べる

  1. よく買うお菓子・飲み物・ゲームの会社を1つ選ぶ
  2. その会社のホームページで「株主・投資家の方へ」(IR と書いてあることも多い)を開く
  3. 「株主の数」や「株主優待」を探して、ノートに書く

調べると分かること
大きな会社の持ち主は、社長1人ではなく、何万人・何十万人の株主です。1人1人が少しずつお金を出して、1つの大きな会社を持っている。これが、渋沢が「合本」と呼んだしくみの、今の姿です。

塾長 小池

利子の計算は数学の割合、株主の話は公民の株式会社。教科書の別々のページが、お年玉1つでつながります。

渋沢に会える漫画と本

夕方の自分の部屋で、私服の中学生がベッドに座って伝記まんがを読み、主人公の悔しい場面に胸を打たれて目をうるませている。机には本が積んである。「まんがで一生を、本で考えを」の文字。

渋沢の一生をもっと知りたくなったら、まずは学習まんがから。考え方まで知りたくなったら、『論語と算盤』に進んでください。

学習まんがで一生を追う

講談社 学習まんが 渋沢栄一 歴史を変えた人物伝は、血洗島の少年時代から、パリ、会社づくりまでを1冊で追える伝記まんがです。渋沢の伝記を書いたフランス文学者の鹿島茂さんが監修しています。小学校中学年から。

『論語と算盤』を読む

まんがで名作 渋沢栄一の論語と算盤は、カフェの家の小学5年生が、常連の大学の先生から渋沢の考えを教わる、という今の時代のまんがです。『論語と算盤』の中身を、身近な場面で読めます。小学校高学年から。

現代語訳 論語と算盤は、本そのものを今の言葉に訳した新書です。まんがで流れをつかんでから読むと、渋沢が本当に言いたかったことが、本人の言葉で読めます。少し難しいので、中学3年生以上。

もっと深く:コテンラジオで聞く

夕方、車の後部座席で館山中の制服を着た中学生がイヤホンで歴史のポッドキャストを聞き、頭の上に鎧の武士や着物の女性、城の場面が浮かんで、目を輝かせている挿絵

コテンラジオ(COTEN RADIO)は、歴史が大好きな深井龍之介ふかいりゅうのすけさん・ヤンヤンさんと、歴史が苦手な樋口さんの3人が、1人の人物を何回にも分けてじっくり語る歴史のポッドキャストです。教科書では1行で終わる出来事の裏にある、人間くさい話が聞けます。

じつはコテンラジオには、渋沢栄一のシリーズはまだありません(2026年10月、公式の配信一覧で確かめました)。代わりにおすすめなのが「お金の歴史編」全7回(2019〜2020年配信)です。4回目で銀行の本当の役割、6回目で株式会社の誕生が語られます。渋沢がパリで見て持ち帰ったしくみが、そもそもヨーロッパでどうやって生まれたのか。その裏側が聞けます。

まずは1回目だけ聞いてみてください。おもしろければ、次の回が勝手に聞きたくなります。

聞くなら Voicy(アプリでもブラウザでも聞けます)がおすすめです。YouTube のように次のおすすめ動画が画面に出てこないので、気が散らずに話だけを追えます。ほかのアプリで聞くなら、Apple Podcasts/Spotifyでも聞けます。

音だけなので、通学の車の中や、寝る前の時間にそのまま聞けます。画面を見なくていいのが、ラジオのいいところです。

お金のしくみは、公民と数学の両方にある

放課後の教室で、館山中の制服の中学生が机に公民の教科書と数学のノートを並べて開き、つながりに気づいて目を輝かせている。「公民と数学が、お金でつながる」の文字。

渋沢がしたことを、もう一度まとめます。

  1. 身分で人を見下す世の中に怒り、しくみを変えたいと思った
  2. パリで、お金を回す人が大切にされる国と、銀行・株式会社のしくみを見た
  3. みんなのお金を集めて大きなことをする「合本」で、約500の会社づくりに関わった
  4. 正しく稼いで、世の中に回す。「論語と算盤」をぶれずに続けた

渋沢のすごさは、見たものから考えを変え、そのしくみごと日本に持ち帰ったことです。そして、そのしくみは今、中学3年生の公民の教科書に「株式会社」「銀行」として載っています。

公民の株式会社の単元は、言葉だけ覚えると退屈です。でも「渋沢がパリで見て、驚いて、持ち帰ったもの」だと思って読むと、1行1行に理由が見えてきます。利子や配当の計算は、数学の割合そのもの。お金のしくみは、教科をまたいでつながっています。

まなぶ君の公民の一問一答には、株式会社・株主・利子・利潤といった、今日の話に出てきた言葉が出てきます。渋沢の顔を思い浮かべながら解くと、覚える言葉が「しくみ」として頭に入ります。まずは一万円札を1枚、じっくり見てみるところから。

この記事を書いた人

小池哲平のアバター 小池哲平 ランゲージ・ラボラトリー塾長

ランゲージ・ラボラトリー塾長、東進衛星予備校 館山校オーナー。安房郡白浜町(今の南房総市白浜町)に生まれ、白浜中から安房高校へ。高2で学年82人中81位まで落ちたところから、浪人して慶應義塾大学経済学部に合格しました。リクルートで4年働いたあと2011年に1993年開校の塾を先代から引き継ぎ、2015年から館山で小中学生を教えています。2026年卒の中学3年生は30名中8名が学年1位。志学館高校のSS特待には3年続けて合格者を出しています(2024年4名・2025年5名・2026年6名)。東進館山校は2026年の共通テストで平均+218.4点(千葉県内1位)。館山・南房総の高校入試を、塾で見てきた事実と数字で書いています。
塾長のプロフィール ランゲージ・ラボラトリーについて

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