誰も育てられなかった菌を、道具から工夫して。北里柴三郎と理科の実験

1880年代のベルリンの研究室で、口ひげに丸めがねの北里柴三郎が、ガラスの培養皿を光にかざし、目を見開いて見つめている。机には真ちゅうの顕微鏡とガラスの器具。「千円札の人・北里柴三郎」「混ざった菌を分けて育てた」「カギは熱と空気だった」の文字。

ランゲージ・ラボラトリーの小池です。

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2024年7月3日から、新しいお札が出回り始めました。1万円札は渋沢栄一、5千円札は津田梅子つだうめこ。そして千円札の顔が、今日の主人公・北里柴三郎きたさとしばさぶろうです。

千円札の顔は、夏目漱石、野口英世と続いてきました。実は前の顔の野口英世は、北里がつくった研究所で働いていた人です。千円札は、先生から弟子へ受けつがれたことになります。

では、北里は何をした人なのか。教科書には「破傷風の血清療法」「ペスト菌の発見」と1行で出てきます。今日はその1行の中身を、理科の実験の目で読んでいきます。

年(年齢)出来事
1853年今の熊本県小国町に生まれる
1871年(18歳)熊本の医学校に入り、オランダ人医師マンスフェルトに学ぶ
1874年(21歳)東京医学校(今の東京大学医学部)に入る
1886年(32歳)ドイツのベルリンへ。細菌学者コッホのもとで研究
1889年(36歳)破傷風菌だけを育てること(純粋培養)に、世界で初めて成功
1890年(37歳)破傷風の血清療法を発表
1892年(39歳)帰国。福沢諭吉らの助けで伝染病研究所をつくる
1894年(41歳)香港でペストの原因の菌を見つける
1914年(61歳)北里研究所をつくる
1931年(78歳)亡くなる

出典:北里研究所「北里柴三郎の生涯」の年表。年齢は満年齢。

目次

顕微鏡の向こうに、見えない世界があった

明治のはじめの熊本の医学校の木造の教室で、短い髪にはかま姿の18歳の北里柴三郎が、真ちゅうの顕微鏡を夢中でのぞきこみ、後ろでひげのオランダ人の医師が見守っている。「見えない世界が、そこにあった」の文字。

北里は1853年、阿蘇あその山あいの村、今の熊本県小国町に生まれました。子どものころは勉強より武道が好きで、医者ではなく軍人になりたかったといわれます。

18歳で入ったのが、熊本の医学校(今の熊本大学医学部のはじまり)です。ここで教えていたのが、オランダ人の医師マンスフェルトでした。

マンスフェルトが北里に顕微鏡をのぞかせると、目では見えない小さな世界がそこに広がっていた。それを見て、北里は医学の道に進もうと決めた、と伝わっています。公式の年表には「マンスフェルトに学び、医学への道を志した」とだけあり、顕微鏡の場面は言い伝えです。

どちらにしても、北里の出発点は「自分の目で見た」ことでした。本で読んだのでも、人から聞いたのでもなく、自分の目で見て、心が動いた。

塾長 小池

理科の授業で顕微鏡をのぞいて「おっ」と思った経験、ありませんか。北里の一生は、あの「おっ」から始まっています。

その後、北里は東京医学校に進みます。在学中に「医者の仕事は、病気を治す前に、病気にならないようにすることだ」と考えるようになりました(予防医学)。卒業後は国の役所で病気を防ぐ仕事に就き、1886年、ドイツへ留学します。

北里より100年ほど前、オランダ語の医学書を手探りで訳したのが杉田玄白たちです。西洋の医学を学ぶ道は、そこから続いていました。

混ざって育つ菌を、どう分けるか

夜のベルリンの研究室で、口ひげに丸めがねの北里柴三郎が、ガス灯の明かりの下、失敗した培養皿が並ぶ机の前で、悔しそうに唇をかんでガラス皿をにらんでいる。「なぜ、1種類だけ育たない?」の文字。

北里が弟子入りしたのは、ベルリンのコッホこっほです。結核菌やコレラ菌を見つけた、当時の細菌学のトップでした。

そこで北里が挑んだのが、破傷風はしょうふうです。傷口から菌が入り、体がかたくなってけいれんし、命を落とすこともある病気です。原因の菌がいることは分かっていましたが、大きな問題がありました。

破傷風菌は、ほかの菌と混ざった状態でしか育たない。そう考えられていたのです。1種類だけを取り出して育てる(純粋培養)ことができないと、その菌が本当に病気の原因なのか、確かめようがありません。

予想してみよう:北里は、どうやって破傷風菌だけを残した?

塾長 小池

ヒント:破傷風菌には、ほかの菌とちがう性質が2つありました。1つは「熱」、もう1つは「空気」に関係しています。

答えを見る

答えは、熱で、ほかの菌をふるい落とす。そして、空気のない入れ物で育てる。

破傷風菌の性質北里が変えた条件
熱に強い「芽胞」というからをつくる混ざった菌を80℃で45分〜1時間温める。ほかの菌は死に、芽胞になった破傷風菌だけが残る
空気(酸素)があると育たない空気を水素に入れかえた入れ物を工夫し、その中で育てる

北里はまず、顕微鏡で何度も菌の様子を見ました。破傷風菌が芽胞をつくるタイミングを確かめてから温める。見て、条件を変えて、また見る。この繰り返しの末、1889年、破傷風菌だけを育てることに世界で初めて成功しました。

ここで大事なのは、すごい薬や機械を使ったのではないことです。菌の性質を見て、その性質に合わせて道具と条件を工夫した。空気をきらう菌を育てるための入れ物も、北里が自分で考えたものでした。

塾長 小池

「育たない」と言われていたのは、育て方の条件が合っていなかっただけ。思い込みを疑って、条件を変えてみる。理科の実験の基本です。

血清療法:菌ではなく「毒」と戦う

ベルリンの研究室で、口ひげに丸めがねの北里柴三郎が、元気に動き回る白いねずみのかごをのぞきこんでほっとした笑顔を見せ、隣で口ひげのドイツ人研究者ベーリングも身を乗り出している。「菌ではなく、毒と戦う」の文字。

破傷風菌だけを育てられるようになって、北里はさらに調べます。すると、体をけいれんさせているのは菌そのものではなく、菌が出す毒だと分かりました。

次に北里は、この毒を少しずつ動物に打ちました。すると動物の血の中に、毒の力を消すもの(抗体のもとになる力)ができていきます。その血の液体(血清)を別の動物に打つと、その動物も破傷風にかからなくなりました。

  1. 毒を少しずつ動物に打つ
  2. 動物の血の中に、毒を消す力ができる
  3. その血清を、病気の動物や人に打つ
  4. 毒が消されて、病気が治る・防げる

これが血清療法です。1890年、北里はドイツの研究者ベーリングと一緒に発表しました。ベーリングはこの方法をジフテリアという病気に使い、1901年の第1回ノーベル生理学・医学賞を受けます。北里も候補には選ばれていましたが、受賞はベーリングだけでした。

塾長 小池

もらえなかったのは悔しかったはずです。でも北里は、日本に帰ってからも研究と人を育てることを止めませんでした。

教科書にはこう載っている

明治時代の後半になると、欧米の学問を取り入れた日本の研究から、世界に認められる成果が生まれた。

医学では、北里柴三郎が破傷風の血清療法を発見し、ペスト菌を発見した。北里のもとで学んだ志賀潔は赤痢菌を発見し、野口英世は黄熱病の研究を進めた。

香港のペスト:発見をめぐる本当の話

1894年の蒸し暑い香港の、れんが造りの倉庫を使った仮の病院で、口ひげに丸めがねの北里柴三郎が、額に汗をにじませ、重く沈んだ表情で顕微鏡に向かっている。窓の外には港と帆船。「ペストの正体を追って香港へ」の文字。

1892年、北里は日本に帰ります。ところが、ドイツで名を上げた北里を受け入れる研究所が、国内にありませんでした。手を差しのべたのが、福沢諭吉ふくざわゆきちです。福沢らの助けで、伝染病研究所ができました。

1894年、香港でペストが広がります。中世のヨーロッパで多くの人の命をうばった、おそろしい感染症です。日本政府は北里たちを香港に送りました。北里は亡くなった人の体を調べ、到着して数日のうちに原因と考えられる菌を見つけたと報告します。

予想してみよう:ペスト菌の学名に入っている名前は?

塾長 小池

ヒント:北里の名前ではありません。

答えを見る

答えは、イェルサン。ペスト菌の今の学名は「Yersinia pestis(エルシニア・ペスティス)」です。

同じころ、フランスの研究者イェルサンも香港に来ていて、同じ病院で、北里とは別々にペスト菌を見つけていました。北里の最初の報告には、別の菌が混じっていたのではないかと疑われる書き方があり、イェルサンの報告のほうがペスト菌の特徴をはっきり書いていました。そのため菌の名前にはイェルサンの名が付き、今は「2人がほぼ同時に見つけた」と紹介されることが多くなっています。

発見の話は、きれいな成功だけでは終わりません。どんなに優れた研究者でも、記録や確かめ方があいまいだと、後から疑われる。だからこそ、何を見て、どう確かめたかを正確に残すことが大事になります。理科のレポートで「結果」と「考察」を分けて書くのは、そのためです。

北里はその後、北里研究所をつくり、慶應義塾大学の医学部の初代の医学科長も務めました。福沢への恩を返すためだったといわれます。弟子には雷のようにきびしく、ドイツ語の「雷」から「ドンネル先生」と呼ばれていました。

やってみよう:条件を1つだけ変えて、カビを育てる

家の台所のテーブルで、館山中の制服を着た中学生が、食パンの入ったチャック付きの袋2つを並べ、わくわくした顔で見比べている。手前にスマホ。「変えるのは、水だけ」の文字。

北里がしたことは、ひとことで言えば「条件を変えて、自分の目で確かめる」です。家にあるもので、そのまねをしてみます。主役は食パンとカビ。カビは、菌の仲間です。

  1. 食パンを2切れ用意し、それぞれ小さなチャック付きの袋に入れる
  2. Aの袋には、パンに水を霧吹きで少しかける。Bの袋は、何もしない
  3. 2つの袋の口をしっかり閉じて、同じ部屋の同じ場所に置く
  4. 毎日、袋の外から観察してスマホで写真を撮る(1週間ほど)

予想してみよう:先にカビが生えるのはどっち?

塾長 小池

ヒント:変えた条件は「水」の1つだけ。場所も温度もパンも同じです。

答えを見る

多くの場合、水をかけたAが先にカビます。カビは水分の多いところで育ちやすいからです。

ただ、部屋の温度やパンの種類で結果は変わります。予想とちがっても失敗ではありません。「なぜちがったのか」を考えるのが、北里のしていたことです。

気をつけること
袋は最後まで開けない(カビの粉を吸わないため)
食べない・においをかがない
観察が終わったら、袋のまま捨てる
ぜんそくやアレルギーのある人は、家の人と相談してから

慣れてきたら、変える条件を「温度」にしてみます。1つは冷蔵庫、1つは部屋。大事なのは、一度に変える条件は1つだけにすることです。2つ変えると、どちらが効いたのか分からなくなります。

教科書にはこう載っている

調べたい条件だけを変え、それ以外の条件を同じにして結果を比べる実験を、対照実験という。

カビやキノコのなかまを菌類、乳酸菌や大腸菌のなかまを細菌類という。菌類や細菌類は、生物の死がいやふんなどの有機物を無機物に分解するので、分解者とよばれる。

北里に会える漫画

学校の図書室の窓ぎわで、館山中の制服を着た中学生の男の子が伝記まんがを両手で持ち、悔しい場面に思わず涙ぐんでいる。「あの1行の裏に、一生がある」の文字。

北里の一生をもっと知りたくなったら、学習まんがが近道です。どれか1冊で、熊本の少年時代から研究所をつくるまでがひと通りつかめます。

学習まんが人物館 北里柴三郎(小学館)は、森孝之さんが監修した伝記まんがです。北里の一生を1冊で追えます。小学生から読めます。

監修:森孝之、シナリオ:夏緑、まんが:やまざきまこと(小学館)

角川まんが学習シリーズ まんが人物伝 北里柴三郎も、同じく森孝之さんの監修。副題のとおり、「近代日本医学の父」と呼ばれるまでを描きます。小学生から読めます。

マンガ&物語で読む偉人伝 渋沢栄一 津田梅子 北里柴三郎(Gakken)は、新しいお札の3人をまとめて読める1冊です。書名のとおり、マンガと読み物の両方で3人の一生が読めます。小学生から読めます。

新しいお札のほかの2人も、偉人コラムで読めます。

もっと深く:コテンラジオで聞く

夕方、車の後部座席で館山中の制服を着た中学生がイヤホンで歴史のポッドキャストを聞き、頭の上に鎧の武士や着物の女性、城の場面が浮かんで、目を輝かせている挿絵

コテンラジオ(COTEN RADIO)は、歴史が大好きな深井龍之介ふかいりゅうのすけさん・ヤンヤンさんと、歴史が苦手な樋口さんの3人が、1人の人物を何回にも分けてじっくり語る歴史のポッドキャストです。教科書では1行で終わる出来事の裏にある、人間くさい話が聞けます。

北里柴三郎のシリーズは、2026年10月の時点ではまだありません。代わりにすすめたいのが、2020年5月の番外編「疫病の世界史」です。1回で完結します。中世ヨーロッパでペストがどれほど人を死なせたか、ウイルスも細菌も見つかっていない時代に人々がどう動いたか、が語られます。菌が見えなかった時代の話を聞いてから、もう一度この記事を読むと、北里が顕微鏡で見つけたものの重さが分かります。

もう1つは「科学技術の歴史編」(全12回、2025年)。2回目と3回目で、科学が「想像」から「実験」へ変わっていく流れが聞けます。

まずは「疫病の世界史」の1回だけ聞いてみてください。

聞くなら Voicy(アプリでもブラウザでも聞けます)がおすすめです。YouTube のように次のおすすめ動画が画面に出てこないので、気が散らずに話だけを追えます。ほかのアプリで聞くなら、Spotifyでも聞けます。

音だけなので、通学の車の中や、寝る前の時間にそのまま聞けます。画面を見なくていいのが、ラジオのいいところです。

理科は「自分の目で見る」から始まる

中学校の理科室で、館山中の制服を着た中学生の女の子が、口を引き結んで夢中で顕微鏡のピントを合わせている。後ろには実験台と棚。「見て、変えて、確かめる」の文字。

北里のしたことを並べると、理科の実験の流れそのものです。

北里がしたこと理科の実験でいうと
顕微鏡で菌の様子を何度も見た観察する
「熱に強い」「空気をきらう」性質に気づいた予想(仮説)を立てる
温度と空気の条件を変えて育てた条件を変えて実験する
破傷風菌だけが育った結果を確かめる

教科書の実験には、必ず「なぜこの条件にするのか」があります。なぜ片方だけに光を当てるのか。なぜ水の量をそろえるのか。その「なぜ」を自分で説明できると、理科の問題はぐっと解けるようになります。

まなぶ君の一問一答には、中学理科の単元ごとの問題がそろっています。言葉を覚えるだけでなく、解説で「なぜその条件か」まで確かめてください。まなぶ君の過去問には、千葉県の公立高校入試も入っています。2023年の社会では、北里柴三郎の略年表を使った大問が出ました。今日読んだ話が、そのまま入試に出ています。

見て、変えて、確かめる。北里が千円札になった理由は、この3つをあきらめずに続けたことです。

この記事を書いた人

小池哲平のアバター 小池哲平 ランゲージ・ラボラトリー塾長

ランゲージ・ラボラトリー塾長、東進衛星予備校 館山校オーナー。安房郡白浜町(今の南房総市白浜町)に生まれ、白浜中から安房高校へ。高2で学年82人中81位まで落ちたところから、浪人して慶應義塾大学経済学部に合格しました。リクルートで4年働いたあと2011年に1993年開校の塾を先代から引き継ぎ、2015年から館山で小中学生を教えています。2026年卒の中学3年生は30名中8名が学年1位。志学館高校のSS特待には3年続けて合格者を出しています(2024年4名・2025年5名・2026年6名)。東進館山校は2026年の共通テストで平均+218.4点(千葉県内1位)。館山・南房総の高校入試を、塾で見てきた事実と数字で書いています。
塾長のプロフィール ランゲージ・ラボラトリーについて

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